AJEQ研究会(7/5)の古地会員、杉原氏の発表(7/6)
日時:7月5日(土)16:30-18:30
場所:立教大学本館1号館1204
タイトル(報告者):
1.「ケベック州議会選挙とその後に関する時事評論」(古地順一郎会員)
2.「ケベック映画のヌーヴェル・ヴァーグ~ミシェル・ブローからグザヴィエ・ドランまで」(杉原賢彦氏、特別ゲスト・映画批評/大学講師)
発表の概要:
1.2014年4月7日に行われたケベック州議会総選挙において与党ケベック党は大敗を喫し、P. クイヤール率いるケベック自由党が1年8カ月ぶりに政権の座に返り咲いた。議席数は、ケベック自由党が選挙前の49から70議席へと増加し、それに対してケベック党は54から30議席へと激減した。ケベック自由党の得票率は前回に比べると大きく伸びているものの、過去30年間の州議会選挙の得票率を見ると、これら主要二政党の得票率は以前に比べて漸減傾向にあり、代わってケベック未来連合党(18から22議席へ)やケベック連帯党(2から3議席へ)の得票率が増えてきていることは興味深い。
ケベック党大敗の理由の一つとしては、「ケベック価値憲章」の提案にみられるように、アイデンティティをめぐる政治の争点化に拘泥したことが挙げられよう。現実にはケベック州民は経済・雇用問題や医療、財政により関心を寄せていた。もっともケベック党も経済政策の重視を打ち出すためにメディア王と称されるP.K. ペラドーを有力候補として起用したが、彼がケベックの独立を公言したがために裏目に出てしまった。実際に世論調査では、若者の多くが「主権問題」を時代遅れで非現実的なものとみなしていることが示されている。
今後、クイヤール・ケベック自由党政権は経済、雇用面の政策を重視しつつ、連邦政府との協働を推進していくだろう。一方、主としてベビーブーマー世代に支持されてきた「主権運動」の世代間継承に困難を抱えるなかで、ケベック党が自らの立ち位置をどのように再定義し、党の立て直しを図っていくのかが注目される。
質疑応答では、ケベック価値憲章の支持層やその選挙対策としての意味、また主権構想のゆくえ等についてやりとりがあった。(文責:飯笹佐代子)
2.カナダ最初の映画は1897年のカナダを紹介するドキュメンタリー映画であった。1939年に「カナダ人およびその他の国々に対し、カナダを理解してもらうため」世界に先駆けた映画振興政策が採られ、国立の映画庁が設立されたが、このカナダ国立映画庁(NFB/ONF)設立時の運営責任者には、英国人ドキュメンタリー映画作家ジョン・グリアスンが招聘された。カナダではドキュメンタリー映画の伝統があることが理解される。
最初のケベック映画は1958年ミシェル・ブローらによるケベック・ウインターフェスティバルを扱った『Les Raquetteurs』であった。この作品は広角レンズを備えた小型の手持ちカメラと録音機とを使用し、初の同時録音による映画作品であった(通常の劇映画はほぼすべてアフレコである)。このような手法は「ダイレクト・シネマ」と呼ばれ、それまでの望遠レンズを用いて対象を外から撮影するドキュメンタリー映画とは大きく異なり、人々のなかに入り込み、撮影する者とされる者とのあいだの相互了解を前提とする。この手法は、ピエール・ペロー、クロード・ジュトラらはじめ、ONF内において共有され、ケベック映画の大きな特徴となった。ダイレクト・シネマはフランスで1960年代にシネマ・ヴェリテ(たとえばジャン・ルーシュ作品)へ多大な影響を与えることとなった。
60年代以降、ケベックを代表する国民的映画監督となったジュトラは、ケベック社会を映すドキュメンタリー映画作家として重要であるとともに、『À tout prendre』(1963年)、『Mon oncle Antoine』(1971年)など、劇映画においても高い評価を得ている。
ケベック映画には政治、移民問題など社会のさまざまな要素が絡まりながら作品が構成されているという特徴がある。2009年以降は若き天才グザヴィエ・ドランが相次ぎ話題作を発表し、注目を集めている。これまでケベック映画の日本紹介は限られていたが、ドラン作品は5本中4本が日本で公開されている(うち1本は今秋公開予定)。Youtube上にはONFのチャンネルが設定されており(https://www.youtube.com/user/onf)、ケベック作品を知ることができることが紹介された。研究会最後には、『Les Raquetteurs』やジュトラの1969年作品『WOW』などの作品抜粋を鑑賞した。(文責:小松祐子)
古地会員の発表

杉原氏の発表

会場の様子
